【岡村さん】

 

 

 

脳のめくらについて述べたい。

 

BRAIN BLINDNESS

 

物理的には手も足も目鼻口耳皮膚もある。

しかし、見るのだってトリックアートや立体視を見ればわかるように脳で見る。

脳で見ることを、観と呼ぶのかもしれない。

「ものの見方」という「観」、そして「勘」。

脳における足を失い、蹴ることも逃げ出すこともできぬ。

自分の足で立てぬ。多くの場合、上から見下される。

脳における腕を失い、やめて!殺さないでと手で食い止めることも降参するのも抵抗するのも、救いの手を差し伸べられてもその手を取ることも叶わぬ。

手がつなげない。

ペンも握れない。

キーボードもケータイのメールも打てない。

ここまでなら五体不満足な感じのと同じかも。 脳における耳をそがれる。非難も悪口も聞こえないし、私を気にかけてくれる声も元気づける声も届かない。誰の声も私の心には入ってこない。

鼓膜は振動しても決して響くことのない無音の世界。

耳無し芳一が他人とは思えなかった。 脳における目を潰される。

汚い醜いものは目に入らないし、美しい心洗われるものも見えない。明るいのか暗いのかもわからない絶望の灰色、グレーゾーンに投げ出される。灰色だということも見えない。字も絵も2次元の画面もない。 琵琶法師や文盲の人、速読が得意でない人は他人ではない。

文字の存在は知っているから点字を読めなくても、点字を文字として認識しているのはわかる。

譜盲だから、文字が書いてあっても何がかかれているか読み取れなかったり、読み取るのが遅かったりするのがわかる。遅くても遅いなりにたどたどしくても読みたいと思うことに胸を打たれる。

脳における口が粉砕される。

抗議もお願いも提案も、閃いて思いついても表現できない、叫べない。

助けを求めるのも自分がここにいると居場所を伝えることも叶わない。キスをしても何も感じない、何か食べても砂のように味気ない。

歯がボロボロになってもわからない、なんでこんなになるまで放っといたの?と責められても、自覚がないからどうしようもない。

目耳口の機能が制限されたヘレンケラーの三重苦は、私には他人事ではない。口から食べる楽しみがない、管から栄養を摂る人も私には他人事ではない。 脳における皮膚や筋肉や内臓や粘膜の感覚神経ごと剥がされる。表情もない。カオナシのように。

暑さ寒さは感じないし、転ぼうが殴られようが蹴られようが痛くも痒くもない。素敵な服をあてがわれてもみすぼらしい格好をさせられても、靴が足にフィットしているかとか着心地がいいか悪いかもわからない。

素敵な住まいだろうとあばら家だろうとわからない。

排泄もわからない、便意すら催さない。

頭なでなでにも髪をとかすのにも背中をさするのにも愛撫にも抱擁にも何も感じない。

誰かがちょっかい出しても、隣に寄り添っていてもわからない。どんなにそばにいても私はひとり。お母さんのおっぱいだってわからない。

自分が触れようと思っても、触れられないし、誰も私に触れることができない。

だれもタッチできないの。

なぜなら私は透明人間だから。

ニンニのように。

因幡の白ウサギの赤裸、全身に大やけどを負った人、癌や壊死で組織が侵されてしまった人が他人とは思えない。

ここまでくるともはや架空の存在のほうが現実味を帯びてくる。

口も皮膚感覚もなくなって、食生活も性生活も楽しめない。

無理やり口に何か詰め込まれ、無理やり侵入されているように感じられてしまうときがある、好きなはずの相手に対してさえ。

好きって何だろう?好きだと思っているのかもわからなくなっていく。

食べて出すサイクルも機能しない。

生物として個体が大きくなることも個体が増えることも本来快と感じるはずのものが無いことになってしまう。

もはや、生物であることを放棄している。

幽霊やゾンビの方が生きている人間よりも自分に近い。

脳における鼻がもぎ取られる。

どんな悪臭もどんな素晴らしい香りもわからない。

懐かしい匂いもない。

家族や仲間のにおいをかぎ分けることもできない。

寄りかかれる者がいない、私はひとり。

どこへいこうと、わたしはよそもの。わたしは帰るところのない迷子。 地形の変化で帰るべき河川を失った鮭は他人とは思えない。

群れから離れた迷子の動物は自然界ではどうなるの。

狼に育てられたアマラとカマラ、もののけ姫の山犬の娘サンは他人とは思えない。

人の形をしているのに人でないもの、お人形やロボットも人造人間も他人とは思えない。

もはや、五感はないことになった。

傷つけられ血を流していてもわからない。

泣き叫ぶこともできない。

魂がどんなに叫んでも、肉体という監獄から出られない。

ただ苦痛のみを感じる。

一切皆苦モード。

快楽のない人生、これまでも、そしてこれからも、いいことなんて一つもなさそうな人生。

返事もできない、自分で動くこともできない、ただひたすら受け身。

こんな私に誰がした!

なぜ私がこんな目に遭わねばならないのだ。

こんなことなら生まれてこなければよかった。

絶望した。

もう何も信じたくない。

私は恨む、この世のすべてを憎む。

生きていたくない。

死ねば楽になるのだろうか。

死に際はこの上なく苦痛に満ちているのではないか。

楽に死ねたら・・・ こんな私でもまだ生きている。

有り難いことであり、奇跡だ。

まだ希望はあると思う。

人生を信じたい。

私は死の淵にいるけれど、ぎりぎり踏みとどまっている。

大丈夫・・・かどうかはわからない、かろうじて持ちこたえている状態だ。でも、生きたい。

「大きすぎる希望は絶望の裏返し」 絶望と大きく膨らんだ希望が拮抗する。

生きていたくないのか生きたいのか、どっちなのか、いや、両方。

アンビバレント。コンフリクト。

 

「悲しいか。さみしいか。つらいか。せつないか。

心を奪われたなら、悲しみさえも失うのだぞ。

良いのか?!心を奪いとるぞ!

プー!心をとるぞ!」

 

脳における心を無くせば、かぐや姫の月の世界の住人のように悲しみも怒りも感じない。

これから先、嬉しいことや楽しいことなんてなさそうだ。

人間やめたい。

起きている間中、すべてが苦痛。寝ているときは意識がないから、苦痛がない。

でも、また目が覚めたら苦痛が始まる。

朝が怖い。

寝て、そのままずっと目がさめなかったらいいのに。

眠り姫のように。

苦痛を一人で背負いこみ続けるのが苦痛。

誰もわかってくれない、救済はないのか。

奇跡はないのか。

脳における心を無くして、自分が自分であることがなくなる。

「もう誰もこの子から奪うことはできない。 もう誰もこの子に与えることはできない。 干渉不可能、不干渉で不感症」

ここはどこ、わたしはだれ?からっぽの私。

脳に機能が付いている。

いくつか挙げる。

ぶよぶよとした半透明の液体のようなバリアが周りの世界との隔たりをつくる。

「水フィルター」とも呼ばれることがある。

真似をして真似をしたもの、そのものになりそうな怖さ。

真似っこ、「メタモルフォーゼ」と呼ぶ。

キャラ同一化、行動も言葉も自分と溶け合ってしまう。

自分が溶媒みたい。

「睡魔」あるいは「覚醒低下」。

苦痛のさ中で逃げられないときの、強制電源オフ。

防御反応だろう。

まるで「強くてニューゲーム」だ。

他の能力に欠陥がある分、観や勘、第六感が発達しているのかもしれない。

見えない何かを見る力を基準にしたら、見えない何かが見えない方が脳のめくらになってしまう。

今はもう見つけてきている。

魔法は脳にありそうだ。

魅力を守るための嘘は、スサノオが女の恰好をしてヤマタノオロチを倒すための嘘。

あいつ卑怯だと責められるのも受けて立つ、これが責任をとるってことだと思う。

 

 

 

 

 

 

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