【ねおき】

 

 

 

男はとにかく疲れていた。

四国の片田舎から十八で単身上京し、漫画家になる夢もあったが、進学した先では元来の人付き合いの不器量さと大成したいという渇望からくる空回りの自尊心とで、男にはこれといって親しい友人も出来なかった。

結局夢も夢のままで終わり、小心な男は自らの可能性を追い求めることもしなかった。

今はゲーム会社の下請けでプログラマーとして働いている。

今夜はようやく納期の目途も立ち、会社を後にした頃には、時計は既に深夜二時半を回っていた。

初夏、湿気を存分に含んだ空気が服の上から体に纏わりつき、雨がしとしと頭上から滴り落ちてきて、それは不快以外の何物でもなかったが、貧乏性であり実際貧乏な男はタクシーを拾わず四十五分も掛けて安アパートの自分の城へ歩いて帰った。

暗い部屋にはもちろん出迎える恋人もない。

あるのは最低限の家具と寝具、そしてあまりの寂しさに最近中古で買った十六インチのテレビだけだ。

帰ってくると部屋の照明よりも先にテレビを付ける。昔はネットがあれば十分だと固く信じていたが、近頃は誰かの声が無性に聴きたかった。

「明日も仕事か」と独りごちて、シャワーを浴びることすら億劫で、靴下だけ脱ぎ捨て着の身着のままベッドに横たわる。

感じたら負けだ、そんな言葉がふいに頭に浮かび、その言葉と発した自分とを打ち消すために男は右肘で自分の両瞼を覆った。

 

明け方、男は夢を見た。

山に囲まれた故郷の風景、小学時分の自分たちがそこにいた。

「ああ、夢だ」と分かった。つけっぱなしになっていたテレビの音声に何か連想させるものがあって自分は夢を見ているのだと気付いてはいた。

しかし、懐かしくて、なんだか恋しくて、縋り付いてみたくて、男はその光景をもう少し眺めていたいと意識的に自分を眠りの、虚構の世界へと引き戻す。

ああ、プールか、そういえば夏は開放された小学校のプールにみんなでよく通った。

他愛もない言葉を好き勝手に臆面もなく話す子供の自分達の姿に、男の胸はチクリと痛んだ。

あれは、誰だっけ、みよちゃん。かわいい子だった。彼女は、いやみんなはどうしているんだろう。結婚でもしたのかな。連絡できなかった。帰れなかった。何者にもなれなかった自分を知られたくなくて、連絡すらできなかったんだ。

あそこにいるのは、たかしくんだ。

二十歳の時、薬を大量に飲んで自死したと親から伝え聞いた。

特別親しい間柄でもなかったが、どうして死んだんだと投げかけたかった。

どうしてどうして。生きていたらきっといいこともあったはずだ。そう伝えたかった。

けれどあれから数年が経過した今、自分の隣にも死は潜んでいる。息すら潜めずに。

自分の思いとは関係なく、その夏休みの日常はとにかくのどかに眼前で繰り広げられる。

 

ああ、帰りたい。あそこへ飛び込んで、そのままずっと暮らしていたい。このまま目を閉じていたい。夢かうつつか、逃げかどうか、もうそんなことはどうでもいいことのように思えた。

虹色のカーテンが揺らめく。まるで誘っているかのように。

 

男は迷った。

目を開けるか、否か。

 

相変わらずテレビの司会者の声がする。

 

 

 

 

 

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